![]() THIS MORTAL COIL"It'll end in tears" 永遠の名作、2篇 いまだかつてこれほど衝撃を受けた音楽はないだろう。キリシャ神話に題材を求めた"treasure"のパンドラ。深い靄に包まれたヨーロッパの暗い森の奥から響く女神の声、原初の音。時代を超越した永遠に色褪せることのない音。 1984年 4ADの所属アーティストを一同に集めたアイヴォ・ワッツによるプロジェクト。コクトーツインズのエリザベス・フレイザーが唄う"song to the siren"は圧巻。デビッド・リンチの映画やCM等に使用されたこともあるので耳にした方も多いだろう。この音楽を聴く者は天上から溢れ出る圧倒的な耽美的精神世界の前にただひれ伏すのみ。 当時の4ADレーベルのアートワークを一手に任されていたアートグループ23envelopeのジャケット・デザインも秀逸。 ![]() 1987年 デンマーク/スウェーデン 観た後に深い感動と素晴らしい映画を観た満足感に思い切り浸れる映画。そんな映画って意外と少ないけど、この作品は間違いなくそんな作品のひとつ。 19世紀のヨーロッパ、貧困にあえぐスェーデンから年老いた父親と9歳の少年が夢と希望を求めてデンマークに移民するのだが、、、待っていた現実は二人の夢を無惨にも打ち砕く過酷な運命だった。奴隷のような農園生活の中で僅かな希望を捨てずに成長して行く少年の姿は美しく感動的だ。 第61回 アカデミー賞最優秀外国映画賞受賞 ![]() 「男と女」 1966年 妻を自殺で失ったレーサーとスタントマンの夫を事故で失った女、大人の恋の心の葛藤をピエール・バルーのボサノバやフランシス・レイの有名なサウンドトラックにのせて描くクロード・ルルーシュ監督の代表作。 この映画を初めて見たのはたぶん小学生か中学生の頃。両親と一緒にリビングのテレビで見たのが最初(でもラブシーンやエロ〜い音楽が当時の私には照れくさくて殆どまともには見れなかったのを憶えている)。 子供心に本当の大人に憧れたのがこの映画。 モンテカルロでレースを終えた男がそのままレースカー(マスタング)を飛ばしてノルマンディーまで女に会いに行くシーン、北フランスの海岸線を歩く老人と犬が妙に印象的。
ドッグフード・マニア
ドッグフードは奥が深い。 日本ではフードに関する法律が整備されていないし、総合栄養食の基準も定められていない。最低限のAAFCO基準をなぞらえているだけだ。 本来なら手作り食が最高だけど、時間もないし食材を手に入れるのも難儀だ。まして災害時や入院時などの事を考えるとドッグフードに頼らざる終えないのが現状だと思う。また原材料の物価を考えれば日本製ではコスト高でアメリカ製に太刀打ちできないだろう(米国ではカップヌードルは30円くらいだ)。 ![]() そこで自分なりの判断基準が必要になってくる。 ①価格と内容が見合っている事 ②WDJ誌の推薦フードに選ばれている事 ③副産物、遺伝子組み換え作物を使っていない事 ④USDA承認のグレードA(人間用)の食材を使っている事 ⑤最新の考え方が設計に反映されいること(プロバイオ、消化酵素など) ⑥動物性プロイテインの含有率が高い事 ⑦穀類が使用される場合は全粒穀物が使われている事 ⑧EQやBHAなどの合成保存料を含まない事 ⑨安価な食物繊維源(ビートパルプなど)を使用していない事 ⑩ローテーションが組み易い事 ⑪ミネラルにキレート加工がされている事 さらに加工食品の弱点を補う必要性がある。 ①消化酵素の添加(Dザイム、エンザイム等) ②微量元素の補強(シーオーガニック、ミッシングリンク等) ③アミノ酸スコアのアップ(良質なタンパク源のトッピング) ④乳酸菌の添加(プレーンヨーグルト等) ⑤必須脂肪酸の補強(シーオーガニック、ミッシングリンク等) 以上の点を考慮に入れて日々の食事を考えてあげれば、綺麗な体型と美しく抜け毛の少ない被毛を持った筋肉質で健康的な犬が育てられるだろう(日常のケアも重要)。 ![]() 1957年 フランス 大都会の孤独と絶望的な愛、殺人事件、それを追う刑事、小さな綻びから崩れていく完全犯罪、夜のパリを彷徨うジャンヌ・モロー、、、モノクロームの映像の中でマイルス・デイビスの即興演奏が響いていく。 すべてがカッコいいの一言。 ドイツ人夫婦が運転している300SLがもの凄く未来的で、まるで宇宙船に見える。 そんな時代背景も新鮮だし、50年代のパリの雰囲気を思いっきり味わえる。 当時25歳だった巨匠ルイ・マル監督のフィルム・ノワールの最高傑作。 親しい友人が死んだ。私にとって2人目の親しい友の死。 突然、倒れた夏の朝から3年9ヶ月もの長い間、ついに一度も意識が戻らないまま遠くへ逝ってしまった。 キリスト教の葬儀に出席するのは初めての経験だった。 典礼聖歌の優しい旋律に心を奪われ、涙があふれ出た。 長い間、参列者の心に残る葬儀になったと思う。 「主はわれらの牧者」 神は私を緑の牧場に伏させ 憩いの水辺に伴われる 神は私を生き返らせ 慈しみによって正しい道に導かれる 主は我らの牧者、私はとぼしいことがない たとえ死の陰の谷を歩んでも 私は災いを恐れない あなたが私と共におられ その鞭と杖は私を守る 主は我らの牧者、私はとぼしいことがない 神の恵みと慈しみに 生涯伴われ 私はとこしえに 神の家に生きる 主は我らの牧者、私はとぼしいことがない 私は死を恐れない。 2人の友人と父が待っているから。 FELTThe Splendour of Fear 1983 誰もが心の奥に持っている幼い頃の不安で寂しい心象風景。 まだ春浅く肌寒い季節。 今にも雨が降りそうな湿った空気、 低くたれ込めてゆっくりと流れていく雲。私はお留守番をしているのだろうか?暗い家の中でひとりぼっち。灰色の空に吸い込まれていく工場の黒い煙。家の裏の細い路地にできた水たまり。そこに映る幼い頃の自分の姿。 この音楽はそんな心の奥の風景を引き出してくれる。 プリミティブなドラムスとモーリス・ディーバンクの美しいアコースティックギター。 そしてローレンスの囁くようなボーカル。 PUNKの嵐が過ぎ去ったあとのポストモダン・ミュージックの最高傑作。 80年代のベルベット・アンダーグラウンド。 「漆の実のみのる国(上・下)」藤沢周平藤沢周平の没後に発表された遺作でもあるこの作品は実在の米沢藩藩主上杉鷹山の半生を描いた作品。 かのジョン・F・ケネディーや彼の信奉者であるビル・クリントンが最も尊敬する日本人政治家として彼の名前をあげたことでも有名な名君だ(というか上杉鷹山を知っているケネディーも凄すぎる)。 米沢藩上杉家は戦国時代には会津120万石の大国であったが関ヶ原の戦いで徳川軍に敵対したため、江戸時代には米沢15万石の小国に封じられていた。しかし120万石当時の家臣6,000人をそのまま擁しており貧窮のどん底にあった藩を、生涯かけて立て直そうと心血を注いだ藩主鷹山の孤独と哀しみを晩年の静謐なる筆致で描いた類まれなる美しい話。 比較的地味な題材を扱った作品ではあるが、読後に素晴らしい感動を与えてくれた。
「物を増やさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終えることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する」
藤沢周平 藤沢周平がこの世を去ってから、すでに10年以上の月日が経っている。 彼のこの死に対する考え方は、エコライフやLOHASなどの考え方が浸透しつつある今の世の中の考え方を一言で言い表わしたようだと思う。 これはミニマリズムと共通する概念であって、一見簡単そうに思えるが実はこの世で最も贅沢で難しいことではないだろうか。 自分の人生の今後30年はこの言葉を座右の銘としていたい。 白洲次郎の遺書にもこんな文言がただ一言「葬式無用、戒名無用」 残された家族は対応に苦慮したと思われるが、清々しく立派な言葉だ。 実際に自分の死に直面したときに、こんな言葉を遺せる男はそうはいないだろう。 paris,texasヴィム・ヴェンダース監督の代表的ロードムービー。 一人の女をあまりにも愛するが故に心が崩壊し落ちぶれた男が、失った妻を探し求め子供を連れて彷徨う旅。 再会そして別れ。 若かりしナスターシャ・キンスキーがやばい美しさで、落ちぶれた男の気持ちもわかる。 カンヌ国際映画祭パルムドール受賞 ライ・クーダーのギターとテキサスの荒涼とした風景はアメリカ人の原風景でもあるのだろうか?ドイツ人のベンダース監督が絶対的な孤独感を淡々と、テキサスの乾いた空気の中で描いてゆく。 こういうアメリカのど田舎の普通の人?の映画は大好き。 映画「2046」ウォン・カーウァイ監督ファンには待ちに待った期待作だったけど、はっきり言って映画は面白みに欠けていた。この監督のファンで過去の作品を観てきた人なら、随所にカーウァイ・ワールドが展開しているのでツボは理解できるのだが。 木村拓哉目当てで見に行った人は、つまらないを通り越して寝てしまったことだろう。 でも相変わらずこの監督は音楽の使い方が本当に上手い。 写真のラブシーンでは、あまりの寂しさに泣けてきた。 「天使の涙」のラストシーンも、最後の台詞と最後の曲がピッタリ符号して、映画を見ている自分の心と完全にシンクロして泣けたな。 昔からなぜかアンンドロイド好き。 リドリー・スコット監督の代表作「ブレードランナー」のアンドロイドが自分の頭脳に埋め込まれた過去の記憶をたどりながらピアノを弾く場面。 アップにしていた髪をほどいた時の神々しいまでの美しさ。 ![]() 映画「2046」でも心に残るのはキムタクとアンドロイド(フェイ・ウォン)の静謐ながらも激しい抱擁の場面。愛し合っていてもお互いの距離と絶対的な孤独を埋めることができない空しさ。 美しいフェイ・ウォンのアンドロイドを観るだけでも価値のある作品だった。 NY映画批評家協会・最優秀外国語映画賞受賞 thin red line映画の話、数ある戦争映画の中でも印象的だったのはこの作品。 映像の魔術師と呼ばれるテレンス・マリック監督作品。 この映画は一人の米兵の死に至るまでの彷徨える魂の物語。 戦争映画だと思って見た人には面白くない映画だと思う。 冒頭のシーンは美しいガダルカナルの海で遊ぶ原住民の子供のシーン。 外国映画に特有の変な日本人がたくさん出てくるので気に入らないと言う人もいるけど、当時のアメリカ人にはこのように見えたのだと思う。 戦争と不条理な死、圧倒的な恐怖の前で人間は何を感じるのか。 出演/ショーン・ペン、ジム・カヴィーゼル、エイドリアン・ブロディ、ジョン・キューザック、ニック・ノルティー、ジョン・トラボルタ、ジョージ・クルーニーと超豪華 ベルリン国際映画祭 金熊賞受賞/NY批評家協会賞受賞 mercury rev中学生の頃から30年もROCKを聞いていると本物かどうか一発で見抜けるけど、こいつらは本当ににヤバイと思った。 ここ10年でライブを見に行ったのはこいつらだけだ。 彼らはNY郊外の「ど」がつく田舎に住んでいる。 ボーカルのジョナサンは間違いなく元ジャンキーだろう。 彼からROCKを奪ったら、あっけなく死んでしまうような危うさを秘めている。 ねずみのようなか細い風体と女性的な高い声を持つ彼はとてもアメリカ人には見えない。若い頃のダスティン・ホフマンに似ている。 本国アメリカよりも英国やヨーロッパで先にブレークしたのも納得できる。 ハイパー・サイケデリアと限りなく美しいメロディーの融合。 グラスホッパーのギターはROCKを骨の髄まで知り尽くした音色。 98年の「deserter's songs」は最高のROCKアルバムの一枚。
私が暮らす街は都心から高速で1時間ほどの郊外都市。
人口は30万程度の小さな街。 中途半端な田舎で中途半端な街だ。 旧市街地は他の地方都市同様に酷い空洞化が進んでいる。 旧商店街は廃墟と呼ばれても不思議ではない。 市民が買い物をするのは郊外に点在する巨大なショッピングモールだ。モールを中心とする地区にはシネコンや巨大スーパーや家電量販店やブランドショップや銀行や日帰り温泉やペットショップやユニクロやスターバックスに至るまで、凡そ必要と思われるものはすべて揃っている。 モールへ買い物に行くには軽自動車が便利だ(駐車場に停め易いし、最近の軽は室内も結構広いし、何しろ税金やらガソリンやら維持費が安いからだ)。 自動車業界が国内販売の普通車の業績不振に悩むのは当然の結果だろう。 そこでは物が溢れ熾烈な価格競争が行われていて、消費者はその恩恵を受け物価は非常に安い。 この風景は日本の地方都市の風景であって、北海道から九州まで何処へ行っても同じような光景がのっぺりと均一的な風景を作り出している。 まるですべての人の人生がそこに存在しているようだ。 「隠し剣孤影抄」 藤沢周平著実は最近一番はまっちゃってるのが藤沢周平。 昨年のベストセラー「国家の品格」を読んで目からうろこが落ちて以来、「武士道」に興味を持ったのがきっかけ。 NHK金曜時代劇の「蝉しぐれ」も面白かった。 映画の方はキャスティングが何となく合わなかった。 でもいろいろ調べたり読んだりすると「武士」は品格を保つために、並々ならぬ努力を強いられ窮屈な生活をしていたのだとも思う。。 「武士の一分」を守るために簡単に腹を切ったりしちゃうんだから。 百姓や町民の方がすっと自由にしたたかに生きていたのだろう。 狂ったネズミが集団で海に飛び込むように、 今後何十年間で日本は「皇国」に逆行していくような気がする。 悪しき戦前のような「皇国」にならない事を祈る。 「レイモンド・カーヴァー傑作選」レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳 作者がアメリカの現代文学においてどのような評価を受けている作家なのか、私はまったく知らない。 この作者の不思議な魅力は何だろうか? リアリズム?シュールレアリズム?ミニマリズム 大切な事は愛・死・夢・絶望・希望 短編「サマースティールヘッド」(貧しいど田舎に住む少年のある一日の逸話)や巻末の詩「レモネード」(事故で子供を失った父親の心)は秀逸。 「本当の戦争の話をしよう」ティム・オブライエン 村上春樹訳 実際にベトナム戦争の最前線でアルファ中隊に所属していた著者の鮮烈な真実の物語。 「本当の戦争の話とは、戦争の話ではない、絶対に、、、」 自らが殺害したベトコンの少年、いとも簡単にあっけなく死んでゆく戦友、ベトナム帰還兵を待っていた現実、まるで白昼夢を見ているかのごとく淡々と現実の地獄を描く短編集。 「彼の顎は喉の中にめりこんでいた。上唇と歯はなくなっていた。彼のただひとつの目は閉じられていた。もうひとつの目は星の形をした穴になっていた。。。痩せた死者だった。優美と言ってもいいくらいの青年だった。」 ナパーム弾の炸裂する亜熱帯の夜は神々しいまでに美しい。 村上春樹自信が選び翻訳している現代アメリカ文学の異色作。 O・ヘンリー賞受賞作品。 原題はthe things they carried 夜、ベッドに入って休む時はi-podに取り込んだ数多くのambient musicをシャッフルして聞きながら夢の中に埋もれて行く。brian enoは私にとって神に近い存在。 左のジャケットはアンビエント・シリーズ第一作の music for airports(1978) この音楽はNYのラガーディア空港で実際に使用されている。 おおよそ30年も前の作品だが、古臭さはまったく感じられない普遍的な音だ。 Microsoft社に依頼されたwindows95の起動音やNASAに依頼されて作ったアポロ11号のドキュメンタリー用音楽、現代最高のROCKアーティストU2のプロデュースなど、彼の仕事は本当に素晴らしい。 最近の私が好んで聞くのはambient+techno+rockみたいな感じの曲やアーティストが多い。たとえばノルウェーのバンドflunk 北欧独特の透明な空気感と現代的なセンスが融合した和めるエレポップ。 その音が流れ始めた瞬間に「場」の空気感が変わるような曲。 夜明けまたは夕暮れの一瞬だけ現れる光の魔術。 テレンス・マリック監督作品(シン・レッド・ラインなど)の撮影は、そのほとんどがこのマジックアワーに行われるらしい。 音の雰囲気を見事に表現したジャケットも秀逸。 「店」の前には大きな松林のある公園がある。公園にはボート池や釣りのできる池、野球場、ラグビー場、J2クラブチームのホームグラウンド、温水プール、ゴルフ場など凡そ考えられるありとあらゆるスポーツ施設が揃っている。 私はスポーツをする暇はないので、公園の中を愛犬と毎日散歩する。 私が小学生の頃は毎日のように、この公園で遊んだ。 友人が転んで気を失った林の中の窪みや、裸で遊んだ川は今もそこにある。 お盆には公園脇の河川敷で大きな花火大会があって、 地元の人間は花火を見上げながら夏の終わりを感じるのだ。 自分自身の原点とも言える巨大な公園。 毎朝のように静かな公園に愛犬を伴って足を踏み入れるとき、 心地よい松林の香りの中に懐かしさと寂しさが同居した不思議な感覚になる。
2007年、あれから丸3年が過ぎた。
「店」の売り上げは比較的順調に伸びているが、未だに赤字体質からの脱却はできていない。 まあこんなもんだろうとも思うし、いままで3年間無事にやってこれただけでも満足しないといけないのかもしれない。 昨年は父親の残してくれた貸し店舗に引越しも完了し、家賃を払わなくても済むようになったがリニューアルの工事代金を新たに借金した。 これからが本当の勝負なのだとも思う。 今は自分が自由に使える金も無く、妻にもろくに小遣いを与える事ができないが私の心は穏やかで家族が安泰でいられることに小さな幸福感も感じている。 「静かな生活」だ。 週に一日の休日には妻と郊外のショッピングセンターへ行き、シャンプーとか歯ブラシとかゴミ袋とか日常の細々した品々を買い物に行く。帰り際にはスタバでゆっくりお茶を飲んだりもする。 たまには映画を観たり、本もよく読むようになった。 洋服は妻も私もユニクロだ。 2人で1万円も買い物すれば充分に満足できる。 「小さくて静かな幸福」だ。 愛犬のヨークシャーテリアはしっかりと躾をしたおかげで無駄吠えもなく大人しいので何処へ行くにも連れて行く。毎日「店」にも一緒に出勤する。 可笑しなことに彼の洋服代のほうが私たち夫婦2人分より高いだろう。 私も妻も彼を心から愛している。
2003年、夏。
入社以来ずっと一緒に働いてきた同期の友人が倒れた。 くも膜下出血だった。 私が会社を辞める事を彼に告白した翌朝の事だった。 緊急手術が行われたが、3年以上経った今でも彼の意識は戻っていない。 会社を辞めて妻と私は「店」を開く事を決めていた。 地元には同業と呼べる「店」はなく、将来の見通しなど何も無かった。 精神的にも金銭的にも生きていく道はそれしか残されていないような気がした。 退職金はすべて新規事業に費やし、借金だけが残った。 子供たちはすでに高校生になっていた。 恵まれた時代に育った子供たちには両親の危機感などまったく理解できないようだったが、危機感が無いのはむしろ自分たちだったかもしれない。 自分の好きな事を仕事にできる喜び、未だかつて無い「自由」な気持ち。仕入先への訪問や視察をかねて大阪へ向かう車の中から見えた真夏の空の青さは、 そのまま自分の気持ちのように清く透明だった。 この「解放」された感覚は未だかつて味わったことのない、そしてたぶん一生忘れることのない感覚だろう。 生まれて初めて「自分」が「自分自身」になれたと思った。 尊敬する天国の親父へ「ありがとう」。
バブル経済が崩壊して5年も経つと、会社の空気はガラっと一変した。
皆がリストラを恐れ、自己保身に精一杯の状況になっていた。 現場へのシワ寄せは酷いものだった。 99年に父が他界した。 父は不器用なほど生真面目で、一年中家族の事を心配しているような心優しい人だった。 生真面目さが裏目に出て若い頃は何度も転職を繰り返し、生活はいつも貧しかった。 私は両親に甘やかされて育った。 若い頃は小市民的な父親が歯痒くて、何度も何度も衝突したが父は決して私を突き放さなかった。 免許を持っている母親に一度も運転をさせなかったほど心配性な優しい心でいつも見守ってくれていた。 優しさとユーモアと包容力を兼ね備えた不思議な魅力を持った尊敬すべき男だった。 父を失って初めて父の偉大さが理解できた。 貧しくとも家族を愛し守り続ける事の難しさを。 「普通」であり続ける事が如何に難しいかという事を。 40歳になる頃には更に日本の経済状況は悪化し年収は下がる一方だった。西暦が2000年になって21世紀が来ると何かが変わるような期待もしたが、何も変わらなかった。 9.11テロが起きてNYにポッカリでかい空き地が出来ただけ。鉄椀アトムはまだまだ未来の事らしい。 上司達はますます保守保身だけを考えるようになり、小さなサラリーマン根性丸出しだった。 いつの間にか仕事が苦痛になっていた。 社内の人間関係のストレスで不整脈を起こし体調を崩した。 朝、髪を整えワイシャツに袖を通しネクタイを締める事が苦痛になった。 以前なら仕事で成績を上げる事ができれば本当に嬉しかったが、 それさえも喜びどころか苦痛にさえ感じるようになってしまった。 23年間勤めた妻の職場も不況の波に耐え切れず撤退を余儀なくされ、 正社員の殆どは半強制的に退職となった。 妻の退職が決まった時に「私も会社を辞めようと思う」と言った。 妻はただ一言「いいよ」と言った。
学生の頃は身体に秘めたエネルギーをどこに発散していいのか、完全に自分を見失っていた。
中学高校時代から、ただ何となく大学に入りさえすれば良いと思っていた。 大学に入ってみると、そこには自分が居る場所、自分を表現する場所、自分がしたかった事が何も無かった。 東京郊外の小高い丘の上にあるモラトリアムのような小奇麗で退屈な場所。 高度経済成長の真只中という時代の中で、ぬくぬくと育てられた中流程度の学力の気色悪いぬめぬめした顔を持つ学生たち(もちろん自分もその中のひとり)。 入学して1ヶ月でそれまでの自分の何かがが崩壊していた。 いつしか新宿や六本木の夜に安住の地を求めていた。街には社会の底辺で生きる人、ホモ、おかま、ホスト、やくざ、業界人顔した三流雑誌の編集者やできそこないのデザイナー、ジャンキー、アメリカンスクールの不良達、売れないモデル、、、大都会でしか生きられない不思議な人々と刺激的な生活。 西麻布に住みパンク、テクノ、レゲェ、セックス&ドラッグの滅茶苦茶な日々。 21歳になったとき自分が底知れない暗闇のそこに居るような気がして怖くなった。 このまま本当に大都会の隅っこで社会の底辺で終わってしまう気がした。 西麻布の薄汚いアパートに以前付き合っていた娘が迎えにきて「一緒に帰ろう」と、 それ以外何も言わずに私を八王子の彼女のアパートに連れて行ってくれた。 暮らし始めてから彼女は何も聞かなかったし、私も何も聞かなかった。 夜の勤めに出ているようだったが、そこがどんな店なのかも聞かなかった。 ただ夜が明ける少し前に酒臭い息をしながら帰ってきて、私のベッドにもぐり込んでくるだけ。 ただお互いの傷を癒しあうように、互いの体温を確かめ合うように、ただ何もせず安らかに眠るだけ。 ふたりとも昼すぎに起きて、彼女は簡単に私の世話をして夕方になるとバスで出かけて行った。 一月くらいそんな引き蘢りのような生活をして、私は田舎行きの電車に乗った。 今、再び彼女に会う事ができるなら、心から感謝の気持ちを伝えたい。 そして彼女の顔を見たらきっと涙が溢れるだろう。
普通の社会人には成れないと思っていた男が、いつの間にかバリバリのサラリーマンになっていた。
営業職で自分の裁量で比較的自由に行動できたのが良かったのかもしれない。 26歳で結婚し、すぐに長男も生まれた。 両親と同居し、家も増築した。 翌々年には長女が生まれた。 ![]() バーニーズNYで購入したピンストライプの細身のスーツやイタリア製のデザートブーツ、ダブルカフスのシャツに身を包み、ゼロのアタッシュケースを片手に洒落たイタリアン・レストランに高級外車で乗りつける、そんな生活。 家のリビングには今流行のプラズマTVが何台も買えるようなイタリア製のソファーをオーダーで注文し、軽自動車が買えるようなAV機器を備え付けた。 世に言うバブルの最盛期だったのだ。 会社の同僚や後輩からは常に仕事でも遊びでも一目置かれる存在でいたかった。 大型連休には妻や子供を連れて海外旅行や国内の一流リゾートにも何度か行ったが、今から思えば日頃から家族を省みず父親らしいことを一切していなかったことへの罪滅ぼしの意味合いが多かったような気がする。 20代、30代の上昇志向は凄まじかった。 仕事も楽しかった、一生このままでも良いと感じていた。 収入も人並み以上にあったが支出も上昇志向同様に凄かった。
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